日々のたより

八百屋も魚屋もスーパーもなくなっちまった

地元商店街のスーパーマーケットが昨年とうとう店を閉じてしまい、百均コンビニだけになってしまった由緒ある(?)商店街、本郷大横丁。
東大、順天堂大、日本医大と3つもある大学に依拠している医療機器関連の会社と地元の小さな商店が軒を連ねる商店街がいくつかあるという地味な地域で、大手都市銀行がぜんぶそろっているのが不似合いな感じなのだが、地元の商店で買い物をし、名曲喫茶で学生らと混じり合って1杯のコーヒーで何時間もだべり、読書に耽溺したら、散歩のコースにも事欠かず、といった気の張らないこの街と共に40年近い歳月を過ごしてきたと思うと感慨深い。

1980年代半ばくらいまでは、目と鼻の先の小さな商店街にも八百屋、魚屋、肉屋、酒屋、スーパー2軒、電気屋、荒物屋、お茶屋、文房具店…と何でもひと通りはそろっていた。
小商いながら活気と落ち着きのあった商店街とその周辺を揺るがしたのは、日本中を成金経済の坩堝に落とし込んだバブル経済だろう。風景に馴染んだ建物がユンボに引きちぎられ倒されて、高層マンションやプレハブまがいのビルに変わったり、櫛の歯がかけるように空き地や駐車場となりはてた。地価の高騰に耐えきれず、幕を下ろし去っていったあの店、この店の主たちの顔が思い浮かぶ。

年代物の小学校も少子化・過疎化で閉鎖に。そういえばこの頃は子どもらの声も聞こえてこないわねえ。マンション住まいの新住民の皆さんは買いものをどうしているのだろう? と思っていたところ、商店街の方の話では、生協や宅配業者から届けてもらっているご家庭も多いのだとか。そう言われれば路地から路地へと走る幾つかの生協の車をよく見かけるようになった。

いっぽう仕事場で昼めしをつくっているだけの当方はほぼ”買い物難民”化。そりゃあ、コンビニでも一通りは売っているが、ほとんど商品選択の余地がないもの。ほとんど売り手市場の状態。仕方なく、住まいの近くで足りないものを調達して自転車で事務所まで運んでいるしだい。
歳をとるのは人間ばかりじゃない。ともに街も老いる。考えればあたりまえのこと。着馴れた服は角がとれてくったり柔らかい肌触り、同様に長年住まう人たちの街案内もつかず離れず、ほどほどの親切が具合いい。
そんな人肌かげんの着古した街が「年取った」というだけで、ピッカピカに一掃されてしまうんであろうか…眈々と狙う眼差しがどこかから注がれているような。