日々のたより

2016-11-26%e3%82%a2%e3%83%95%e3%82%99%e3%83%a9%e3%83%8a%e7%a7%91%e9%87%8e%e8%8d%89 慌ただしく師走に入ってしまい、この一年のことを振り返る余裕もなく押し寄せる雑仕事に追いまくられながら、ふと、世間では夏休みという8月に入ってすぐに、10月刊行が決まった新刊『野草の手紙』(ファン・デグォン著/清水由希子訳)の編集作業で汗まみれになっていたんだったと、思い出しました。
きついスケジュールを喘ぐようにこなしていた日々にあって、それまで、名前も知らずいっしょくたにして見ていた野草も、目の位置を低くしてよくよく見ると、似ているようでも、少し違っていたり、地べたにへばりついている小さな草に数㍉の愛らしい花がついていてハッとしたりと、様々な草たちの生き生きとした姿に元気をもらい、時には食べられそうな草を持ち帰りもして、忙中にもなんとか楽しい時をつくりだしていたのでした。

本の内容は、無実の罪で投獄され、13年にもわたり獄に繋がれた著者が、激しい拷問で死の一歩手前まで追い詰められたとき、いのちや社会の見方への大きな転換を経験。刑務所という限られた空間での小さな生きものたちとの出会いと交歓のなかから、劣悪な環境のなかで生き抜く力をも2016-1126%e9%87%8e%e8%8d%89らったことを、獄中から妹さんにあてた手紙につづったものです。

出版後も、自転車での通勤時、また近くの霊園や小さな公園を歩きながら、自分の目に入ってくる世界が大きく広がったことを感じます。草や花や木々、鳥や虫たち‥生きる営みがこんなに豊かに広がっていたなんて。ついつい立ち止まり、しゃがみ込んで話しかけたり。
画像は、11月の終わり頃、近所の墓地で見つけた野草。立派な葉だけれど、ちぎって噛んだら、からし菜のような匂いが鼻をくすぐる‥名前は知らなくてもアブラナ科はだいたい食べられるもん、と勝手に解釈し、ポキポキ折れるところで適当に採取し2016-11-26%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%97%e8%8f%9c%e7%82%92%e3%82%81jpgて台所へ。
大振りにちぎって炒めたら、気になるほどの繊維もなく、軽い苦みと辛みが合わさって、ご飯にも酒の伴にもいけます。あとで調べたら「セイヨウカラシナ」と判明。これから朝晩の冷え込みが厳しくなるから、霜があたって野草のおいしさもアップするのではと、楽しみが増えました。

きのうあたりから本郷界隈ではイチョウの葉が一斉に黄色くいろづいて、風が吹くたび雨のように降り注ぎます。歩道を行く人たちに踏まれながらしだいにしゃくしゃになるにつれ、うっすらと漂いはじめる匂い。晩秋を感じさせますね。ぎんなんの匂いが臭くって触りたくないと嫌う人も多いけれど、私は嫌いじゃないなあ。(よ)

 

 

 

 

 


DSCF18817/30(土)~31(日)に東京・神楽坂の日本出版クラブを会場に、BOOK MARKET2016が開かれました。アノニマ・スタジオ主催のこの合同ブックフェアは今年で8回目。読者や書店員、出版社が直接交流できるイベントとして人気を集め、今年は32社の出版社が出展。2日間に訪れた人の数5000人(推定)と、これまでで最高のにぎわいに。7/30(土)には自然食通信社の著者お二人による対談が実現しました。

 東京・国分寺市で助産院を開業し30年。女性たちのこころとからだを丸ごと抱きとめ、開放感あふれるお産体験へといざなってきた矢島床子さん。布作家・早川ユミさんは高知県の山あいで、土を耕し自然とともに生きる知恵を土地のお年寄りたちに教わりながら、からだに寄りそう衣服をつくり続けて20年に。それぞれの分野で活躍するお二人に、〝いのち〟を〝つなぐ〟からだについて語り合っていただいた。

 

会場内には矢島助産院でのお産の様子を写した大きなパネル写真が飾られ、ダイナミックなお産の世界観に包まれながらスタート。

 DSCF1863産む“性”をサポートしたい

 「70歳を超えたが、幸せな助産師をやってきた」そう話し始めた矢島さんはすでに5000人の赤ちゃんを取り上げてきたベテラン助産師さん。「赤ちゃんは、本来お母さんの小さな膣が大きく伸びきって生まれてくる。痛くてしょうがない。でもそれは自分で産んだ喜びに変わるための痛み」と、矢島さんは《自分で産む》ということにずっとこだわり続けてきた。

 岐阜の山奥の農家で生まれ、子どもの頃は畑に出土する縄文時代の矢じり拾いに夢中。看護師を目指していた20歳の頃、自動車事故で峠から車ごと転落、意識不明の重体で今も目に麻痺が残る。事故後、助産師への道を勧められ、それが人生の転機になった。当時日本に入ってきたばかりのラ・マーズ法を広めた故・三森孔子助産師に師事し、病院では体験できない地域の開業助産師に出会う。自身も第3子の出産で初めて自宅分娩を体験。それまで子育てに無関心だった夫もお産に立ち合ったことで、子育てに対する意識が変わった。日常生活のなかで、布団の上で産むしあわせ・快適さに気づき、それが矢島さん自身のお産の原風景になったという。

 DSCF1880女性という動物にかえるとき

 矢島流お産介助の3原則は、①絶対にひとりにしない、 ②からだに触れる、 ③産婦さんの全てを受け入れる―こと。

 「身体が開き、今まで味わったことのない別世界に連れていくのがお産。だからこそおかあさんたちには、『動物になってね、バカになってね』と言っています。本能のままにさせてあげることがひとつの技術なんですね。痛くて強烈な体験であるお産を経験させてあげる、“いのちの原風景を築かせてあげる”こと。それが後に喜びになり、女性が“自分の《産む性》に自信を持って生きていける”ことになるんです」

 

 矢島さんのお話を受けて、早川さんは、「私も助産師さんに子どもを取り上げてもらいました。今日のお話は共感することばかり」とテンポの良いやりとりに。

 DSCF1886早川 いまここにある写真やスライドを見て、改めてお産ってすごい力があるなあと、涙が出てしまいました。いま、野性の感覚をテーマに本を作っているので《お産の持つ力は野生の力》とおっしゃっていたのが印象的でした。私も、畑で茶豆を満月のときに蒔くと、ぐいぐいと発芽していくのがわかるんです。お産も満月のときに多いでしょうか?

矢島 満月と新月のときに多いと感じますが、そうじゃないときに生まれることもあります。(現代の女性たちの)身体が変わってきているというのもあるでしょうけれど。だけど、(満月や新月のときのような)潮の満ち引きといったものに導かれて命というものはつながってるなぁと感じます。

 

産むチカラは一人ひとりのなかに

日本人の生活スタイルが変り、冷え症の女性も多くなった。ちょっと頭が痛ければすぐに薬を飲んで解決できる。椅子の生活、和式トイレから洋式トイレに。何気ないと思える生活スタイルの変化は実は大きなからだの変化が伴う。矢島さんも早川さんもそれぞれに、しゃがめなくなった《女性》や《若者》が多いと実感しているという。

 早川 最近の病院では夜中のお産は時間外労働扱いで料金が高くなるので、陣痛促進剤などでお産自体をコントロールするって聞きますし。お産は病気じゃないのになあって、みんながより自然なお産がしたいって声をあげていってシステムを整えていくことが大事だなって思います。産むという野生の力が一人ひとりの中にきっとあると思うんです。

矢島 今、みんな医療に任せてしまっている。自分で産んで自分で育てるっていう感覚があまりないというか。子どもたちに生きる力がつくようにしないとね。

早川 高知では助産院が県内に一軒しかなくって、(助産院で産みたい)妊産婦は他府県に産みに行ってるんです。助産師さんを目指す人たちがもっと増えればこの状況は変わるのになと思っています。

矢島 今の世の中では経済効果としての《出産》なんですよ。国から助成金も出るし。だからこそどういうふうに豊かなお産にもっていくかということが問われていると思うんです。

 お産の現場に男性助産師?

 早川 (矢島さんの)本を読んで知りましたが、1997年頃から男性助産師の導入に反対されたのですね。

矢島 開業してまもなく助産師会に入りました。男性助産師を導入しようという動きを受けて、助産師会から反対運動をしてほしいと言われたんです。“これはいけない!心もからだもひらくお産のサポートをするのは、やはり女性であるべきだ”と署名運動を全国展開しました。初めて国会に行ったり、いろんな議員さんとも知り合いになって導入は見合わせになりました。
 それから4年後でしょうか。国会でまた法案を通す動きが出てきてね。こんどは助産師会が男性助産師の導入に賛成したんです。それぞれの立場はあるものの、わたしは産む女性の性を守りたいという立場で運動を再開しました。時期尚早・女性の羞恥心・プライバシーへの配慮・生命と性の尊厳などを訴え、法案は見送りになりましたが、いつまた再燃するかはわかりません。
 (男性がお産の現場にいるなかで)自分のからだをさらけ出すということは女性にとって苦痛なんです。そういうことを堂々と言える世の中になればいいなと思っています。

早川 古代からの長い歴史を考えると、たかだか100年くらいの間に病院がたくさんでき、薬を飲んだり手術をしたりという世の中になりましたが、それまでは薬草を煎じて治したり、民間医療とかいろんなものがあったんですよね。お産も女性たちによって支えられてきたと思います。逆に男性の得意なことと女性の得意なことがあるから産む性としての女性の役割は大事にされるべきじゃないかなって思いますね。

矢島 わたしたちはこういうお産をしたい! という声を出していかないと、と思うんです。命があればいい、簡単にお産が済めばいい、じゃないんですよね。

DSCF1881自分の感覚が大事

 早川 私の場合は1人目はラ・マーズ法だったんです。最初はそこで分娩台に乗せられたんですが、2回目のときに先生に“これは嫌だからちょっと立ってお産してみる”って言ったら“いいよ! いいよ!”って言ってくださって。好きな音楽を流してくださり、くつろいで産めたんです。今でも交流があってつながっています。2人目の時には上の子も立ち会ってくれて。イキんだときに便が出たことを覚えていて、いまでも話題にされます。(笑)

矢島 便が出るようになると、もうすぐ生まれるんです。喜ぶんです、わたしたちは。

早川 そうなんですか!

矢島 そう。だって肛門だって開いてくるんですもの。

早川 お産は快感だっておっしゃられたのがよくわかります。“バカになる”って話も。今は学校で知識をまず先に学んでしまうので、頭で考えずにからだで感じることが大事なのだと思います。
 たとえば食べものだったら賞味期限を見てから、これは危ないってなりますけど、うちでは若い子たちにクンクン嗅いでごらんと言っています。自分の感覚を研ぎ澄まして大事にしていくということが今、求められているんじゃないでしょうか。冷え取りをしたり、おなかの中から呼吸をしたりすることも大事ですね。本の執筆で丹田呼吸法を書いているときにラ・マーズ法を思い出したんですけれど、意識して呼吸をするということはとても大事です。

 矢じりから縄文時代に思いを馳せる

 早川 矢島さんは縄文時代の矢じり拾いでからだの感覚を習得されたのではないかと思いました。矢島さんの底力はそこから来てるんじゃないかしらって。(笑)

矢島 底力かどうかはわからないですけれど、1個拾うとうれしくってもう何時間も探して。どんな人が、とか空想ばかりしていましたよ。

早川 縄文時代の土偶ってほんとに女性のからだですよね。おなかがぽってり大きくって。それを割ったり、首を落としたり、粉々にしたりしてお祀りしたんですが、赤ちゃんが無事生まれることも育つこともままならなかったから、そうやって土偶をこしらえたんじゃないかなと思うんです。
 今日は矢島さんのお話を通して、共通することがたくさんあり感動しました。次の本にお産のことも入れたいなと思います。もっとこういう話を聞いて、自分の感覚を信じる、からだを感じるということに多くの人に触れてほしいと思います。矢島さんは身内が助産師になられていて。わたしもがんばって次の世代の方々にもっと伝えなくっちゃ、と思いました。

矢島 私も、もう少し長生きしたいです。

2016年7月30日対談。
―文責・編集部

 


DSCF18307/30(土)~31(日)神楽坂の日本出版クラブで行われたBOOK MARKET2016。アノニマ・スタジオさん主催の合同ブックフェア。本好きのための真夏の本祭り。自然食通信社も初出展で参加してまいりました!会場の日本出版クラブの3階がたくさんの人にあふれかえって刺激的な2日間でした!ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました!

初日に行われた自然食通信社企画のトークイベント助産師・矢島床子×布作家・早川ユミ 『“いのち”をつなぐ“からだ”トーク~女子も男子も。いまだからこそ大切にしたい“からだ”のはなし~』の様子も随時アップしていきますのでお楽しみに!

自然食通信社ブース

自然食通信社ブース

『からだのーと』にサインをする著者の早川ユミさん。

『からだのーと』にサインをする著者の早川ユミさん。


サイン本。即興で一つ一つ内容が違っていたりします

サイン本。即興で一つ一つ内容が違っていたりします。


 

 

 

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9月22(日)、23(月・祝)の2日間にわたって奈良市で催されていたフォーラム「「農がはぐくむ こどもの食 こどもの命」」を覗きに行ってきました。
20数年ぶり(!)に降り立ったJR奈良駅は、再開発工事の真っただなか。工事中の道路と建物ばっかりで、宿のある通りへはどう行ったらいいのか、地図を 見てもわかりにくい。うろうろするうち目に止まったのは、やけに格調高い雅な建物。これが古い駅舎で、観光案内所として残されたのだとは、翌日、地元に住む 知人から聞いた話。真新しいデラックスステーションビルより目立っています。

古風な店構え、ひっそりとしたたたずまいの家並み、どこかおっとりとした風情で広がっていた空も、観光の古都として生まれ変わるため、ぐわんぐわんとシャッフルされて、数年後には活気にあふれた街並みへと変貌しているのでしょう。

有 機農業・自然農の生産者や八百屋、地域生協、オーガニックものを扱う店などが実行委委員会をつくって企画されたこのフォーラムのプログラムには、竹下和男 さんの「弁当の日」の講演も。何度聞いてもそのたび、心を揺さぶるあらたなエピソードが加わわって、またもや目の前がじんわりぼやけてしまったのでした。
講演の前には「親に手伝ってもらわないで”自分で弁当をつくって”会場に持ちよる」というプレイベントも。5〜6歳の子どもたちが「ひとりで作った!」と 小さな手を高く挙げる姿、赤い耳が一部ちぎれたうさちゃんリンゴや、ぎゅっと握られた拳のようなおむすび、スティック状に切った”だいすきな”キュウリな どなど、自分で詰めたランチボックスを開ける瞬間、きらきら輝く小さなシェフたちの表情のかわいらしかったこと。

暑い暑い奈良盆地から戻っ てきたら、東京の夜は半袖では寒いくらい。翌朝、掛け布団をまくり上げ、勢いよく足を伸ばしたとたん、ひんやりとした空気に触れて、寝ぼけ頭も一気に覚 醒。ラジオをつけると、きのうは最高気温が20℃を下回ったと言っている。あぁ、あの内側から外へとひたすら熱気を放出しつづけた夏という季節がほんとう に終わったんだと、一抹の寂しさとともに実感が深まった朝でした。


八百屋も魚屋もスーパーもなくなっちまった

地元商店街のスーパーマーケットが昨年とうとう店を閉じてしまい、百均コンビニだけになってしまった由緒ある(?)商店街、本郷大横丁。
東大、順天堂大、日本医大と3つもある大学に依拠している医療機器関連の会社と地元の小さな商店が軒を連ねる商店街がいくつかあるという地味な地域で、大手都市銀行がぜんぶそろっているのが不似合いな感じなのだが、地元の商店で買い物をし、名曲喫茶で学生らと混じり合って1杯のコーヒーで何時間もだべり、読書に耽溺したら、散歩のコースにも事欠かず、といった気の張らないこの街と共に40年近い歳月を過ごしてきたと思うと感慨深い。

1980年代半ばくらいまでは、目と鼻の先の小さな商店街にも八百屋、魚屋、肉屋、酒屋、スーパー2軒、電気屋、荒物屋、お茶屋、文房具店…と何でもひと通りはそろっていた。
小商いながら活気と落ち着きのあった商店街とその周辺を揺るがしたのは、日本中を成金経済の坩堝に落とし込んだバブル経済だろう。風景に馴染んだ建物がユンボに引きちぎられ倒されて、高層マンションやプレハブまがいのビルに変わったり、櫛の歯がかけるように空き地や駐車場となりはてた。地価の高騰に耐えきれず、幕を下ろし去っていったあの店、この店の主たちの顔が思い浮かぶ。

年代物の小学校も少子化・過疎化で閉鎖に。そういえばこの頃は子どもらの声も聞こえてこないわねえ。マンション住まいの新住民の皆さんは買いものをどうしているのだろう? と思っていたところ、商店街の方の話では、生協や宅配業者から届けてもらっているご家庭も多いのだとか。そう言われれば路地から路地へと走る幾つかの生協の車をよく見かけるようになった。

いっぽう仕事場で昼めしをつくっているだけの当方はほぼ”買い物難民”化。そりゃあ、コンビニでも一通りは売っているが、ほとんど商品選択の余地がないもの。ほとんど売り手市場の状態。仕方なく、住まいの近くで足りないものを調達して自転車で事務所まで運んでいるしだい。
歳をとるのは人間ばかりじゃない。ともに街も老いる。考えればあたりまえのこと。着馴れた服は角がとれてくったり柔らかい肌触り、同様に長年住まう人たちの街案内もつかず離れず、ほどほどの親切が具合いい。
そんな人肌かげんの着古した街が「年取った」というだけで、ピッカピカに一掃されてしまうんであろうか…眈々と狙う眼差しがどこかから注がれているような。


 30年来の友人、加藤哲夫さんが亡くなった。「826日零時半永眠」と、発起人でもあり、代表理事を務めた仙台・宮城NPOセンターのホームページで知った。

そのひと月ほど前、ホスピス病棟に入ったと携帯にメールが届き、焦って仙台の病院に駆けつけた。”絶不調、絶不調”を口癖にバリバリ仕事をこなし、全国を駆け回っているときもガリガリに痩せていたが、ベッドの上でさらに骨に皮が貼りついたようになりながら、全方位に脳内ネットワーク張り巡らせ、3倍速の話しぶりという哲ちゃんらしさ健在に、「テツはテツだわ」と笑ってしまったほどだったのに。残り少ない命の炎を燃やし尽くそうとしていたんだなと、いまは思う。

私が雑誌『自然食通信』の創刊準備「0」号を出した1981年の春、哲ちゃんは仙台でカタツムリ社という出版社をを起こしたばかりで、「準備号」を見たからと、生まれてまもない息子を背中におぶって事務所を訪ねてきてくれた。それが初めての出会い。
 レイチェル・カーソンが著書『沈黙の春』で警告したことが、ものすごいスピードで現実のこととなり、全国の農村で毒性の強い農薬で命を落としたり、失明するといった事故が頻発、国策企業チッソの有機水銀垂れ流しが水俣病を引き起こすなど、この小さな列島が公害にまみれていったのは60年代後半から70年代にかけてのこと。
 農薬や化学肥料に頼らない健康な土と農業と食べものを取り戻すために作物を栽培する農家も食べる人も手を携えての「有機農業」提携運動のネットワークが各地で起こり、80年代に入ってようやく私も、創刊した雑誌に「食べものと暮らしをあなたの手に」のことばを刻んだ。

ほどなく哲ちゃんもエコロジーショップ「ぐりんぴいす」の経営を始めた。「食べものの歪みから見えてくるのは私たち自身の暮らしの歪み」と知ったところから、隣の他者と繋がれる、そして国や企業に要求するばかりでなく、私たち自身が暮らし方、生き方を変えるには1歩踏み出す(それこそが行動)ことと、疑問に思うこと、知らされないでいることを自分たちで調べ、他者と結びつきながら大きな声にしていきたいという思いを私は小さな雑誌に託し、哲ちゃんは、ぐりーぴいすという店を「定点観測拠点」と位置づけて、人と人が出会い、繋がる「場」にしようとしていたから、「ミニコミ雑誌」と「エコロジーショップ」は小さくても自前のネットワークが地域に根づくよう、情報交換しつつ、それぞれ「いつ休んでいるかな」と自分に聞いてみたくなるようなフル稼働態勢に突入していった。

品切れ

そして、85年の「自然食通信」26号から「仙台発BOOK NEWS」の連載も始まった。しばしば「きょうも絶不調」の書き出しで、「本について語るのは自らを語ること」と、毎号20冊近い本を「食と農」「エコロジー、市民活動」「原発とエネルギー」「エイズ」「にゅーえいじ」など多彩なジャンルを縦横にさばきつつ、同時に自身の「活動と仕事と思考のプロセスの貴重な記録」ともなった超絶連載は雑誌休刊まで11年続くことに。後半以降は特に、下版直前まで原稿がはいらないことはざらで、ひやひやしたけれど、届けば鮮度抜群、鋭いセンスの本選びと読み解く感度のよさでこちらも最初の読者になれる楽しみを逃したくなく、崖っぷち編集をなんとか乗り切ったものだったと、皮膚の下が擦れて熱くなるような感覚と共に思い出す。
 3か月後、秋田の無明舎出版から単行本『加藤哲夫のブックニュース最前線』なって送られてきたが、あまりの早さと、2段組、背幅3センチ近くにもなっていたのに驚いた。帯文には「700冊」とあり、これにも驚愕!

こちらが雑誌をやめて、単行本のみになって2年後くらいだったか、哲ちゃんも「ぐりんぴーす」を閉じたことを、どこからか伝え聞いた。「定点観測」的立ち位置から方向転換し、NPO(民間非営利組織)の法制化に向けての活動、市民活動のネットワークづくりに全国を飛び回っているとと言っていたけど、4年ほど前、東京で会ったときにも「全県走破したよ」という話に、「うわぁ、以前にもましてアドレナリン全開だ!」などとこちらは感心するばかりだった。

昨年11月に、突然手紙が届き、「膵臓がんの手術をしました」とあり、不安な気持に襲われたが、語り合う間もなく、疾風のごとく天へと駆け上っていってしまった。

さよなら!テツ。ゆっくりお休み。(よ)