| TOP > 日々のたより>2004年11月15日 |
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天音、その後(1)
娘の天音(あまね)が19歳で亡くなって4年が過ぎました。亡くなった年の暮に、娘の偲び草のような「天音amane」画文集を自然食通信社から出版してもらいました。
この画文集は、もともと福音館書店の雑誌「母の友」に連載していた絵とエッセーまとめたものです。この連載の期間は1999年の4月から2000年の3月まで。連載の終わった年の2000年10月あの子は亡くなりました。今にして思えば、天音のいのちの最後を書き留めたような気がします。
夫の平明も私も、天音は充分に生きた、という思いがしています。出産時のトラブルで脳が酷くこわれ呼吸さえままならない状態、小鳥のように少ない食べ物、日々襲ってくるケイレン、どれをとっても明日の命の保証はなかったのです。よくがんばっていきたよね、と私たちは少し誇らしげに言い合いました。しかし、日が過ぎるほどに恋しさがつのって、つのって。天音の長く細い髪を部屋のすみで見つけては、それを唇にあてて泣き続けました。
私はまだよかったのです。いろいろなところから(東京、北海道など)絵画展をしませんかと誘われるままに、画文集の天音の絵を抱えて出かけていき、そこでたくさんの人に出会い少し元気になれたから。でも、平明は哀しみがどんどん深くなるだけでした。愛する子どもが亡くなったら、親も一緒に死ねたらいいのに、無為に過ごしながらひとりでつぶやくのでした。
そんなやりきれない日々が続いていたある日、2002年の10月。私は神戸の画廊でやはり天音の絵の絵画展をしました。その画廊は公設市場の二階にあって、靴をぬいで上がる3,4畳ほどの狭い場所。部屋を取り囲むように、壁面いっぱいに、天音の絵を掛けました。
平明は毎日画廊に来て、絵を見に来てくださった人たちとゆっくりと腰を下ろして天音のはなしをしました。静かに時が流れ、天音の息遣いが聞こえてくるようでした。
あーこんな場所があればいいね、平明が天音に話しかけるように言いました。
それから一年後、私たちは「天音堂ギャラリー」を作りました。
(2004.11.15/山口ヒロミ『天音amane』著者)
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