| TOP > 日々のたより>2004年11月3日 |
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女性が仕事に就けなかった時代に
拙著「幸福なしごと」は、約200の職業に就く人々を取材した中から、約150の業種・人を収録している。私達の生活は多種類の仕事に従事する人々によって支えられているということと、「働く」ことに喜びや生きがいを見出している人々の声を伝えたいというのがねらいだった。
取材を始めた92年当時も、今も、教育を終えた者は「働く」のが当たり前、教育期間は「働く」ための準備期間だと思っている。だが最近、「働く」意味が揺らぎ始めている。フリーターの増加に加え、働くことも学ぶことにも踏み出せない「ニート」と呼ばれる若者たちが急増していて、40万人以上いるという。「働く」ことにこだわってきた私としては、このことに驚いている。
私が大学を卒業した73年、同期の女子で就職したのは約半数。「家事見習い」「花嫁修行」が選択肢としてまだあった時代だった。オイルショック直前の経済成長期で、男子は売り手市場で、3年生のうちに早々と内定を取っていた。一方、女子は高卒や短大卒は引く手あまただったが、大卒女子に対して大手は門戸を固く閉ざし、前年に、銀行と証券会社が大卒枠を設けたことと、東京消防庁が婦人消防官(現・女性消防官)の募集を始めたのがニュースになったほどだった。大卒女子は中小のわずかな口に殺到するか、教員、公務員試験を受ける、短大卒資格で受験させてもらうしかなかった。それでも「氷河期」などと社会問題にならなかったのは、大卒女子の数も、就職希望者も、現在に比べると格段に少なかったからだ。
なぜ大卒女子は敬遠されたのか。第一は女性の能力を過小評価し、男性と同等に扱う気持ちが企業になく、高学歴は不要だった。第二は、当時は女性は結婚あるいは妊娠したら退職することが当たり前、あるいは強制されていたので、22歳からの就労では勤務期間が数年しかなく、仕込みがいがないと判断されたのだ。
そんな時代に、結婚や妊娠をしても、一生働き続けようと決めた私に、社会の壁は厚かった。
就労にこだわったのは、母の影響が大きい。専業主婦だった母は、夫から給料を全額預かり、金銭的な苦労もなく、趣味に没頭し、国内外への旅行にもたびたび出かけ、何不自由ない生活をしてきたが、「養われている」という立場に息苦しさを感じていたらしい。常々、私に「仕事を持って、収入を得た方が良い」と語っていた。
その言葉に感じ入った私は、当時は都会でも女性の大学進学率は2割ほどだったが、「教員になりたい」と進学。そこで出会ったのが、米国で巻き起こったウーマンリブ。「男女平等」は私のキーワードとなった。
(2004.11.3/山田優子『幸福なしごと』著者)
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