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TOP > 日々のたより>2006年2月28日

日々のたより

 「百二十歳まで生きようねぇ」

85歳、唄と踊りと三線抱いて八重山おばあは人生真っ盛り

    映画『ナミイと唄えば』は3月公開



その昔、母の背で幼い私が回らぬ舌ではじめて歌ったのは「あまこや(山小屋)〜の〜」と始まるラジオ歌謡だったらしい。当時わが家のラジオから流れる歌といえば、浪花節と民謡と歌謡曲だったから、私の身体にはしっかりとこれらが埋め込まれた。その土壌の上に小学校唱歌、クラシック歌曲、フォーク、ロックとめまぐるしく時代の音楽が重なったけれども、いまや新しい音楽というものにはとんと鈍くなった。
それにひきかえ遠い記憶のなかの音楽はなにかきっかけがあれば、過ぎた日の思い出を連れ、いつでもただちに蘇る。

先日試写を観た映画『ナミイと唄えば』は、冒頭いきなり、浅草木馬亭の舞台で島唄や往年の懐かしい流行歌をと取り混ぜ歌い踊る85歳の歌姫の登場で幕が開いた。空のてっぺんまでポーンとぶっ飛ぶようなまっすぐで軽やかな歌いっぷりに元”歌謡曲少女”の記憶のスイッチがカチリ。耳のなかで「あたしがあなたぁに惚れたのは〜」と歌うおばあの唄が切なく鳴っている。
唄と踊りの間を縫いながら、狂言回しをつとめる孫のような年齢の女性浪曲師との掛け合いでナミイおばあこと新城浪さんの波乱に富んだ人生が語られていく。
9歳で沖縄本島の遊郭に売られ、厳しく唄と三線を仕込まれたナミイ。生きるために覚えた芸だったけれど、芸はナミイを生かしてもくれた。北でも南でも日本中で貧しさゆえに女たちが家を助けるために過酷な生を強いられた時代。そして戦争の拡大とともにナミイの歌い踊る場所もサイパン、台湾と流転する。
惚れこみ、惚れられもした、男たちが逝ったあと、遺影を前にあっけらかんと「アンタの2倍半生きるから、まだ迎えにこんで」「あたしは百二十歳(ひゃくはたち)まで生きるからね」と語るナミイにとって、どんなときにもその身から離さなかった唄と踊りと三線が生涯の友、いのちそのものの響き。それはまた無念のうちに亡くなった人々の魂を癒す唄となり、「ともに百二十歳まで生きましょう」と、ためいきつきつつ生き辛い現世を漂う人びとへの応援歌ともなる。
 
 五十、六十が蕾なら 七十、八十は花盛り
 私の人生これからと 希望の花を咲かせましょう

と艶やかに歌う「老後の花」、生きぬくために歌ってきた唄が、いまは生きる喜びとともにある。85歳にして新たに覚えた「桑港のチャイナタウン」(戦前の唄ですが)。自筆のカタカナの歌詞カードで一生懸命歌うおばあのチャーミングなこと。孫やひ孫たちの未来まで見届けておくれね。

この映画を観た少し後、沖縄テレビ(OTV)制作のドキュメンタリー番組「民放協スペシャル 戦争を笑え 命(ぬち)ぬ御祝事さびら 沖縄・伝説の芸人ブーテン」を観た。激しい沖縄戦で多くの身内、親しい人を亡くし、打ちひしがれていたうちなんちゅうたちに「悲しいときにこそ笑おう、歌いましょう」と、歯科医の仕事のかたわら、笑いと唄を武器に励まし続けた小那覇舞天を描いて圧巻だったが、絶望的な運命を、歌い、踊り、笑い飛ばして生きる力に変えていったナミイおばあの人生の軌跡とはからずも重なっていた。

映画『ナミイと唄えば』(2006年/カラー/98分)
  監督:本橋誠一 
   サスナフィルム http://www.ne.jp/asahi/polepole/times

2006年3月18日より、東京・東中野/ポレポレ東中野にてロードショー公開


          (2006.2.28/横山豊子 自然食通信社編集長)

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