昼めしコラム

風子4歳・2021.1.6

ノラ母が ”自力で生きられるように” と

仕事を終えて帰宅し、玄関の鍵を開けようとドアに近づくと、中の方で何やらバタバタと不穏な音がしている。急いで鍵をあけ見渡すと目の前の床に鳥の羽根らしいものも。
また捕まえてきたのか〜。
うんざりする間もなく、何かくわえた風子が鼻息荒く廊下を走り回っている。その勢いのまま玄関へと降り、くわえたものを振り回して遊びに興じているが、すでに塊は動かない。ここにきて同居人の帰宅に集中力が乱れたらしい。何か言いたそうな顔をして私を見上げたが、どうやら小休止を決めたよう。

こちらも慌てていたため、玄関の灯りをつけるのを忘れ、暗い上がり口に仁王立ちになったままだ。風子は台所にある自分の餌を思い出したらしい。踵を返した隙に明るくなった玄関に降りると、小さな塊が目に入った。
雀だ。恐る恐る触ってみる。まだ温もりはあるものの動かないので、風子はもう飽きてしまったんだな。仕方がないので拾い上げ、見つからないよう、コンクリートで固められた庭の片隅にほんの少し土が残っている部分をかき分け、雀を埋めた。
やれやれ。
散らばった大小の羽根を片づけ掃除機をかけながら風子の方を見やると、散々遊んだからか、つい今しがたの興奮がまるでなかったように、落ち着きはらった様子で畳に寝そべっている。ノラの母さんが、親がいなくなっても自力で生きていけるよう躾けたのだろうか。とりとめなく思いを巡らせる同居人である。(よ)


子離れの母さん旅立ち、仔猫は路地に居場所見つけて

御年3歳になる同居猫にねだられ、寝不足でふらつく足を気にしつつしぶしぶ向かいの公園へ。そこそこ広い公園にはすでに円を作るように先客たち。N H Kラジオ体操の曲が流れ始め、20名ほどだろうか、みなさん、おもむろに手足を動かし始める。ああ、新鮮な朝の空気が体に流れ込み気持ちよさそう。あ、6時半かと、脳内のスイッチが入る。

体操を終えて帰路につく人たちの賑やかな会話や、歓声をあげながら走り回る子どもたちに耳で反応しつつ、風子(勝手に名付けました。先祖代々ノラ育ち)は紫陽花の茂みに身をひそめ、体を投げ出して土や草の感触を楽しんでいるよう。

公園には犬連れが圧倒的に多く、今のところ、猫は風子1匹くらいか。成猫よりも小さな室内犬から、ゴールデンレトリバーまで、15分くらいの間に5〜6匹は通りかかるが、風子はこの構えのまま、茂みの向こうを通り過ぎるだけなら、騒ぎ立てもせず、やり過ごしている。けれど相手が臭いをかぎつけ近づくや突如毛を逆立て、犬に喧嘩をふっかけるのだ。雀に鳩、蝉、蝶、ヤモリ、鼠と、次々家に運び込んでは嬉々として遊びまくっているから、狩りには自信があるらしい。後始末をさせられるこっちは閉口していますがねえ

1週間ほど前のこと、あっちからもこっちからも飼主に連れられた犬たちが増えてくるので、面倒なことにならないうちにと公園から風子を連れ出し、やれやれと声をかけようとしたら、すぐ後ろにゴールデンがついてきているではないか。

先方は図体が大きいからチビ猫を怖がったりはしないのだろう、なになに…? という感じでこちらへ一歩進もうとしている様子に見えたけれど、風子の方は尻尾を3倍ほどにも膨らませ背中の毛をいっぱいに逆立て戦闘態勢に。無言でジリッジリッと寄っていく。焦ってなだめる私のいうことなんて耳には入っていない。

いやぁ〜、魂消た。これまでにも、外から猛然と猫が飛び込んできたり、友だちの子どもが拾ってきた猫を引き取ったりと、長い間にはいろんな猫が家に棲みついたけれど、間近にこんな勇ましい猫を見たのは初めて。

ゴールデンとの対決は、緊張が最高潮に達したところで、犬の応用さに助けられといっていいのだろうか、いつの間にか逆立てた毛を収め、毛づくろいなどしている風子。ゴールデンもまた何事もなかったように振りかえりもせず穏やかな表情で歩き去ったのでした。(と)                      2019.5.28


とげ抜き地蔵で賑わう巣鴨駅の隣の駅は「西巣鴨」ですが…
  朝の都営地下鉄・西巣鴨駅。だだっぴろい道路が交差する上方を、高速道路がのしかかるように大きくカーブを描いている。住んでいる地域からそう遠くないけ ど、通り過ぎるだけだった西巣鴨。用を済ませるまでに30分近く待ち時間があったので、朝ごはんぬきで20分ほど歩いてきてお腹も空き気味だったし軽い朝 食でもと思い、適当なカフェはと見渡したが、見当たらない。表通りだけでなく路地の奥ものぞいたが、灯ともしころに開きそうな店ばかりだ。風が勢いよく通 り抜けそうな大きな交差点の向こうに見えるマクドナルドの看板も気のせいか小さめ。たぶん中・高生のたまり場になってるだろうなと、食指は動きませぬ。

パ チンコ屋や、ドトールのようなチェーン展開のカフェがあって…と漠然と描いていた駅前風景とちょっと違うような。さらに目を凝らしてみる。あ、小ぶりなが らスーパーもある。で、カフェは?と、回り込んでみたら、ありました。構えはチェーン店タイプだ。そろりと扉をあけ、入ってみると、カウンターには食事パ ンが数種類選べるようになっている。焼きポテトカレーパンというのを1個選び、コーヒーも頼みます。店内は思ったより明るく、ゆったりした雰囲気。

お客さんは10人くらい。年齢層は高め(こちらも高めデスが)。よく来ているお客さんが多いようで、50代くらいの女性も、杖をわきに抱えた60代後半とおぼしき男性もカウンターのスタッフと慣れた雰囲気で会話を交わしたりしている。

あ、全席禁煙じゃないんだ。私が座った隣席の30代後半くらいの女性は2箱目の煙草の封を切っている。

2テーブル先の男性が新聞を読み終えて立ち上がったので目をやると、はきなれた感じのジーンズに渋めのチェックのシャツとベストというおしゃれが身についている。年齢は70代後半といったところ。肩にななめにかけたポーチもからだに馴染んでお似合いでした。

出勤前の短い時間に、スマホをいじりながら、せかせかとモーニングサービスのトーストをかじっている人たちの波が去ったあとに、ゆったりとご自分の時間を楽しんでいるふう。店 のスタッフもマニュアルではなく、落ち着いた身のこなしで注文を捌き、マニュアル対応に違和感を覚えてきた年齢層のお客さんをほっとさせている様子。それ が店全体をくつろいだ感じにしているのだなと、私も自然とゆったりとした気分に。街に溶け込み、存在感とでもいうものを醸し出しているカフェ。少なくなり ましたね。

貴重です。こんどは週末に散歩がてら自転車で来てみようかな。


住まいから近い商店街。毎日通る道すがら目に留まっていたコンビニが忽然と消えた?と思ったら、200メートルほど移動して新規開店していた! 全長1キロもある長い商店街の端っこだったから、なるほどねと、勝手に納得。ところがそれからひと月もしないうちに空いてしまっていたスペースにはライバルの大手資本系コンビニが出店。素早い! あれれ、だけど看板には「スーパーマーケット」とある。

最近コンビニとスーパーをコンパクトに合体させた格好の「ミニ・スーパー」なる呼称の大手資本系店舗が、シャッターが降りたままの店舗がめだつ昔ながらの商店街に続々進出。大手資本どうしの熾烈な戦いが始まっていたのですね。

ともあれ、どれどれと、さっそく偵察に。お結び1個88円? 牛乳1000mlパック137円って、かなり安くないかなあ(表示を見ると「生乳55%」とある。生乳100%のものが157円)。めったに牛乳を買わないので、ちょっと他の店も覗いてきてみての印象は、スーパーとしてはかなり安い! コンビニでは185〜7円くらい。近くのスーパーでは215円くらいが普通。230円もけっこうある)…

あ、鰹削り節もありますね。最近、最大の鰹節生産地を取材したばかりだったので、コンビニじゃあどんなものを(見た目がコンビニ風なのでつい…)扱っているのだろうと目が吸い寄せられる。

「鰹の漁場に近いインドネシアでにし、鹿児島県で削りました」…?
袋に大きく書かれたコピーに、思わず笑ってしまった。
食品の偽装表示(? 確信犯ですねぇ、どうみても)で大激震・批判にさらされている外食・食品業界だから、慎重を期してこんなコピーになったのかしらん。「和食」がユネスコの世界遺産に登録されたという話題がメディアを賑わしているものの、外食・家庭料理ともに海外からの輸入食材に頼りきりの食の現状を考えると、胸を張って「和食文化健在」と言うのも憚れるような。日本の伝統技術をインドネシアの工場に持ち込んでも、鰹は鰹。和食文化は揺るがず…なのかなあ?


製麺所の前で売られていた「玉うどん

人並みに麺好きである。うどん、冷や麦、そうめん、蕎麦…それぞれにおいしさがあるものね。ラーメンもたまには食べるけれど、あれはどうも飽きる。麺に使われる鹹水のにおいの強さが余計、と感じるのかもしれない。
それと、ラーメンの汁の作り方って足し算なのね。私はうどんや蕎麦のつゆのこれ以上要らないという「引き算」できまるのが好き。

子どもの頃、少なくともわが家では、どれも店に食べに行くものではなかった。町内に麺を製造している工場があって、夏には、2階の開け放たれた窓から、細い棒にずらりとかけられた冷や麦が天井で回る木製の扇風機の風を受けて暖簾のように揺れていた光景が思い出される 。昭和30年代初めのことだが、「戦前は目の前の川でうどんを洗っていた」という大人たちの話からは、すでに遊泳禁止になっていたこの川が澄んでいたなどとうてい想像できなかった。環境汚染はすぐそこまできていたのだろう。数年後には阿賀野川下流域で「新潟水俣病」が発見されたのだから。

 夕方ころ、工場の入り口の前を通りかかると茹でたての太めのうどんを売っていた。くるくるとまとめてひとかたまりずつ(わが家では「玉うどん」と呼んでいた)、ヘギ(低い外枠のついた長方形の木の入れ物。新潟ではうどん、蕎麦、餅、饅頭などを並べる。近ごろ「へぎ蕎麦」が東京でも人気が出てきたようだが)に並べられているのを、近くで働いていた母は、たまに仕事の帰りに買ってきていた。これは生ものなので夕飯ですぐ食べる。今どきのうどんのようなコシの強さで食べるというより、食べ始めてからだんだん麺に汁が染みてくるあたりがうどんのおいしさと思っていた気がする。
やはり買ってきたお総菜の野菜の天ぷらがつくこともあるが、どういうわけか牛蒡の天ぷらが必ずといっていいほど入っていて、牛蒡のにおいが子どもの私には好ましいとは感じられず、食べたという記憶がどうも希薄。しからば何をおかずに食べていたのか、思い出そうとしても、ほぼ却の彼方。大豆に衣をつけて、でこぼこのでんべいのようにして揚げたのは、甘くはないけど牛蒡天よりは気に入っていたような。

家族みんなが休みの日曜日のお昼に、母がよくゆでてくれたのは乾麺の冷や麦。田んぼだらけの地域だからか、蕎麦はそれほど頻繁には食べていなかった気がする。うどん、蕎麦の汁のだしとりには花鰹を大事そうに引き出しから取り出していた母だが、「かつ節では味が足りないね」と不満をもらしていたのは、けちって使っていたからだろう。もっとも子どもの私には鰹節の削りたてを使うなどということは考えも及ばず、わが家の台所にも「花鰹」があった、という記憶があるのみ。

 上京してひとり暮らしを始めてから、鉋付きの鰹節削り器を買い、せっせと削ってはだし取りしていたけれど、本郷に「鰹節」の問屋さんがあるのを知って、削りたてを買うようになり、切れれば大横丁通り商店街鵜飼商店へ走って、そろそろ20年にはなるか。わが家のどっしりとした削り器は年代物の貫禄を身にまとい棚の奥深くで眠っている。


東京での枝豆初体験はビアガーデンにて

ひと昔前の夏。ビアガーデンで枝豆を頼んだら、10莢ほど乗った皿が出てきたのに驚いた。うわ~東京ではこんなにちょびっとしか枝豆を食べないのか!田舎じゃ5秒でなくなっちゃうよ。しかも明らかに茹でてからかなりの時間が経っているとおぼしく色も変わってしまってる。
 いっしょ行った仲間たちは大ジョッキにかぶりつくようにしてググーッとうまそうにビールをあけているが、枝豆には手が伸びてこない。そうだよなあ、おいしそうじゃないもん。

枝豆食い選手権なら上位入賞だったかも…

それよりさらに20年近くもさかのぼって昭和30~40年代、私が育った町では八百屋さんに枝豆が出始めるのは7月の終わりころ、まだ値段も高めで、買い物に行くたび枝豆の束を前にためらいがちにしていた母の姿が思い出される。夏の間じゅう、毎日のように大ザルに盛られた枝豆を家族でばくばくと食べていたから、東京に出てきて、そんな枝豆の食べ方をだれもしないので、友人たちと枝豆を食べるときに肩身のせまかったこと。なにしろ私の食べるスピードが速すぎるのだ。自動的に手が伸びて、ハッと手を止めることもしばしば。

茶豆に人気が集まっています

このごろは枝豆ブームといってもいいいのではと思えるほど、スーパーでもいろんな産地の枝豆が出揃っている。特に、独特の濃い風味をもつ“茶豆”に人気は集中しているようだ。実家に聞いたら、地元でも茶豆一色というから、流行というものの凄まじさに、言葉を失う。

子どものころは、おとなたちが「やっぱり“茶豆”は旨いな!」などとと話しているのを耳にして、え、枝豆はみんな青いのに?と不思議に思っていた。たしかに見た目同じようなのにときどき“旨い”のに当たるので、それが茶豆だったのではなかっただろうか。ある年の春、「今年はこれを蒔くんだ。茶豆は旨いぞ」と父が平べったい茶色の豆をいじりながら言うので、へぇ、大豆になったら茶色なんだと知った次第。今でも大豆と枝豆は違うものだと思っている人はけっこういるけどね。当時から茶豆の種は貴重だったらしい。

週末に行くスーパーでは山形特産の「だだちゃ豆」、新潟特産の茶豆が売り場のスペースを競い合い、さらに群馬、千葉産と「茶豆」一色に近い。それにしても “だだちゃ豆”のお高いこと! ばくばく食べる派にはちと手がだしにくい。 
 “だだちゃ”より少し安いのと、地元びいきから新潟黒埼、弥彦あたりの茶豆を買って帰ったら、これはもうビールにキマリです。